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クロード・モネ美術とブログの共通点を見つけた話

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モネ展に行く

先日行ってきたモネ展で思ったことを話したい。

 

monet-fukuoka.jp

もともとそれほど美術に関しては詳しいわけじゃない。それでもなぜか、印象派と言われるモネの絵に少しだけ惹かれて友人を誘って行ってみた。思ったよりも人は多く、たくさんの人たちが詰めかけていた。美術館というのは、だいたいが幼少から死ぬまでの順番で絵が飾られているが、モネ展も変わらずその順番を守っていた。

モネは何を描きたかったのだろうか

正直、絵は確かに綺麗だ。「綺麗」という言葉だけでは表現力に欠けてしまうかもしれない。確かに細部まで描かれた絵は美しい。でも引っかかる。一体モネは何を描こうとしていたのか

幼少の頃はお金を稼ぐため。持ち前の才能を活かして売るための絵を描いていただろう。そこから、ある人の忠告があって風景画を始める。これが原点にある。

ただ単純に風景を描くことだけが目的だったのだろうか。あらゆる土地をめぐって描きたいものを探すハンターとなっていたモネは全国の旅を続ける。

 

そして、自分が描きたいものを描いていった。

作品紹介 | モネ展 福岡 | モネ展:マルモッタン・モネ美術館所蔵「印象、日の出」から「睡蓮」まで

 

モネが描きたかったもの、それは「時間」ではないか?

 

綺麗な景色を描こうと思って描いているわけじゃない。そんな気がした。絵を見て決して上手く描こうとはしていない。自然に、流れるように、その動きを描こうとしている。

煙突から揺れる煙、街のざわめき、夕暮れの時間と共に変わる景色のグラデーション、風、水の流れ

静止画という絵では到底表すことが不可能なその一瞬の時間を、モネは描こうとしていたのではないか。

ブログとの共通点

絵とブログって結構似ているなと思った。表現の方法は違うけど、一つのキャンパスに自分自身を表現する。ブログは一つの記事に表現する。そのジャンルは様々で、お金儲けの作品、綺麗なまとまった作品、気の赴くままに描く作品、様々ある。

どんな色を使って、どんなデザインで、どういう絵を描くのか。イメージは?描きたいものは?それってブログにも全く同じことが言えるのではないかと思った。

 

自己表現としてのブログ。どんな目的で書くのか、それをもう一度考えさせられた。僕たちができることは文字による表現だ。

それは予想以上に面白い。とげとげしい表現で突き刺さるような文章を書く人もいれば、丸く柔らかく読みやすい文章を書ける人もいる。

一つの絵(記事)で人の感情にさえも訴えかけることができる。誰かを突き動かすことさえ可能だ。そんな文章を書けるようになりたい。美術館の1点1点の作品のように、一つの記事に何かほんの少しでもいいから自分の思いを込めておきたい。

 

だとすれば、物書きは芸術家にだってなり得る。

東京都美術館で行われたクロード・モネ展には3ヶ月で来場者数は総勢70万人を超えている。

 

70万PVの男

一人当たりの単価は1000円を超えている。

 

生涯に渡って愛される絵があるなら、同様のブログは存在しえないのか。そんなことはないと思っている。同じように、生涯に渡って僕たちに何かを伝えてくれる記事はあるはず。 

最後まで自己表現し続けること 

ブログという枠から飛びだせば、まだまだ強者揃いの世の中。表現者として僕たちはどこまでやれるのだろうか。

雑記として、アフィリエイトとして、情報のまとめとして、僕たちに出来ることはまだまだある。

馴れ合い、染まりあいのテレビ広告のようなブログの集まりで終わってしまうかもしれない。実際に、僕自身もそう言った記事しかまだ書けていない。

もっと可能性を広げられるかもしれない。ブログは単なるブログという枠を超えていけるのか。ブログというツールを使って、何に挑戦していけるのか。

そんな熱い思いさえもいつかは無くなるのかもしれない。

 

それでもモネは最後まで自分の描きたいものを描き続けた。白内障になって、色さえも識別できなくなったその眼に映った景色を懸命に描こうとしていた。

 

最後まで、自分を表現していた。素敵すぎる。ブログではないかもしれないが、僕も最後まで何かを表現し続けていければいいんじゃないか。それがブログであるかはまだ分からない。

「最後まで自分の描きたいものを描こうとする」

何があっても自分を貫く姿勢。これは見習うべきではないだろうか。

とにかく考えさせられたモネ展だった。