STAY MINIMAL

将来への不安を持つ友人に学んだ意識や気持ちの切替という逃げと甘え

日々の中で思ったことをそのまま書いていきます。

将来に悩む友人と会話した

僕の日常で起こったことを話していく。久しぶりに会った友人と会話している中でこんな悩みを打ち明けられる。「俺、生きてる意味が分からなくなってきた。将来やりたいこともないけど、今のままじゃダメだと思ってる。でも何をしたらいいかわからない。時間もないし焦ってる。」相談としては誰に言えることでもないし、僕に相談してくれたっていうのは嬉しかった。

正直、僕は生きている明確な意味なんて無いし、そんな哲学のループにはハマりたくない。でも仕事とか自分がやりたいことって一体何だろうっていうのは疑問としてある。「あー分かる!俺もやりたいこととかで悩んでるよ。」それからお互いの現状と今後について話してみた。今のまま仕事を続けていくことに不安があって、でも自分自身何がしたいのかはっきりしてなくてもがいてただ時間だけが過ぎていって気がつくと1年が終わっている。毎日、会社に行くにつれてその感覚は日に日に増していってある日突然爆発する。理想と現実という言葉はあるけど、現実にも満足していないしかといってこれだ!というハッキリした理想も持っていない。そんな何も決まらない状態で時間だけが過ぎていくことに不安を感じてる。

自由に、楽しく、充実した毎日を送ればそれでいい。健常者から出る言葉はそんなところだろう。でも、そもそもその「自由に、楽しく、充実した毎日」が何なのかさえも見えなくなってしまっている状態だった。ただただ、漠然とした不安だけが支配している。友人から伝わってきたのはそんな雰囲気。

見えてきた漠然とした不安の正体

もちろん、自分にとっても当てはまる内容だし僕自身も「何が自分が進んでいきたい方向なのか?」という部分さえハッキリしていない。具体的なやりたいこと、それが見えていない状態っていうのが不安でたまらない。それは友人も同じだった。でもこのままぐるぐる回っていても何も解決しない。

じゃあどうするか?何が不安なのか整理してみない?と問いかけてみた。一体、何がどうなることが不安なのか。それを文字で書き出してみることにした。これは、実は高校時代の先生から言われたことだった。

「怒ったとき、悔しいとき、悩んだとき、それを書き出して何がその対象なのかをハッキリさせて整理してみろ。そうやって理屈で理解すればスッと楽になる」

そこで書き出した言葉の一部をまとめてみる。

  • やりたいことが分からない
  • 毎日にメリハリがない
  • 何がしたいのかわからない
  • 将来に対して不安を感じている
  • いまの会社を辞めたら収入がなくなる
  • このままだとまずい気がして焦っている

書き出してみてわかったことは、ただただ漠然としているということ。不思議なことにそれまで悩んでいたことが文章にしようとするとうまく書き出せなかった。結局、分かっているのは「今のままではいけない」ということだけ。単純に足踏みして、自分から不安を煽って焦っているだけだった。漠然とした不安、なんとなくこのままじゃいけないような気がする。まちがっているような気がする。

あらゆることが「気がしている」だけ。このままだと、たぶん棺桶に入るまで同じ状態じゃないか。

見えてきたのは、その「気がしている」を一つずつ明確にしていく必要があるってことだった。

責任と意志のなさが露呈する

もう一つ、見えてきたことがある。それは話している中で責任が見えないということ。自分にとって何がいいのか、将来ってそもそも何?不安って何?毎日って何?

そもそも、そういう言葉自体をどこかで他人事のように思っているんじゃないか。どこかに答えがあるような気がしてるんじゃないか。外側で起きている出来事に対して自分を当てはめようとしているんじゃないか。

「自分に向いている仕事って何だろう」この問いって本当にあってる?自分と仕事っていうのが完全に切り離されてる気がする。将来、不安、そんな言葉が自分に降りかかっているような受け身の感覚。

友人と話していて、その感覚に疑問に思ってしまった。そうじゃない気がした。一番の問題ってどこかにある不安とか悩みじゃなくて、何も決めきれていない自分自身にあるんじゃないか。

そう思うとスッと理解できた。ああ、そうか、と。自分で何かを決めるのが怖いんじゃないか

そういう意志とか責任という覚悟がなくて、ただただ流されてここまできてる。決めたのはおそらく自分じゃなかった。それは空気とか周りの環境から「こうだろう」と決められたような道だったのかもしれない。正しいと思い込んできた道。自分のいない道。だから不安になったり、分からなくなる。

誰かのせいにしていただけだったのかもしれない。

「苦労とストレス<感情」という行動図式

そういう自分を棚に上げ続けた結果、今の状態にある。これってかなり面倒で、価値観というものが固まってくると非常にマズイと思っている。一旦、慣れてしまうと「今ある毎日」を変えることにかなりの労力とストレスがかかる。環境を変えなきゃ行けないし、全く新しい人たちと0から話していかなきゃいかないし、自分からお金を払って自分の足を使わなきゃいけない。

こんな「今ある日常」は時間が経つほど変えにくくなる。結婚とかしてると余計にそうなってくる。そのストレスに打ち勝つだけの「何か」ってなんだろう。

おそらく「感情」じゃないか。

喜怒哀楽の何かしらの大きなインパクトがあって人は行動するんじゃないか。「毎日を変える」のに多大なストレスと労力をかけることにどこかでストップをかけているのだとしたら、自分の中で猛烈な「感情」が足りていないのかもしれない。

その感情を自ら作り出せる人もいるだろうし、本を読んで感情に揺さぶりをかける人もいるだろう。いずれにしても変えるための感情が不安とか苦労よりも勝っている必要があると思う。

結局、気持ちとか意志ってたぶん必要ない

漠然とした不安がハッキリすればすべてが丸く収まるのだろうか。喜怒哀楽を示せば何かが変わるのか。おそらくは何も変わらない。思っているだけじゃ何も。

じゃあ「やる気」になれば変わるのか。「楽しい気持ち」になれば、「覚悟を決めれば」いいのか、「自分の意志をハッキリさせれば」それですべて変わるのか。

友人と会話し終わった時、「ちょっと吐き出してすっきりした。ありがとう」と言っていた。いや、ちょっと待てよ。「すっきりする」ことが解決に繋がるの?

自分を変えるのに「やる気」とか「意志」とかって必要だけど、たぶん絶対に必要なものじゃない。というか、その言葉に縛られてた。

頭の中で考えただけで結論を出していた。何もやってないのに。

結局は行動したかどうか。漠然とした不安とか、責任とか、意志のなさとか、感情とかたぶん全部言い訳。行動のための材料にはなるけど、それをかき集めてても仕方ない。

気持ちの切り替え、じゃなくて具体的な行動が必要なんじゃないか。

だから、友人の不安をかき消すのは「意識や気持ちを変える」ことじゃない。解決策は気持ちとか意識を変えるなんて楽なもんじゃない。

どんな仕事がやりたくて、どんな仕事をやりたくないか、それを自分でお金をかけて調べて、決断して、リスクを取っていくしかない。

調べる、話を聞きに行く、自分の思いを誰かに共有する、そこにフォーカスしていなかった。気持ちとか意志とかそんなものに惑わされていた。その方が楽だから、思っているだけなら立っててもできるから。

やるかやらないか、これって大きな違いに思えた。

誰かと話すことで見えてきた

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友人の悩みを聞いて自分の意見を話すうちに、逆に自分が持っていた悩みがハッキリとしてきた。誰かと「話すこと」は動詞だから「行動」したことにはなると思う。それ以上に、「誰か」というのがめちゃくちゃ大切な気がした。今まで解決していない問題って、一人で黙々と思ったりやってみたりするだけのものが多かった。一人でなんとか解決しようと頑張っていた。でもそれを見直す必要があるのかもしれない。

「誰か」を巻き込んで、「行動」する。自己啓発とか、本とかいくつか読んだけど結局行き着く先はここだったよね。

人は人に影響を与えていく。意識とか気持ちを新たにする精神論じゃ多分何も変わらない。相談を受けてそんな学びがあった。