みんなの友達の平均数って何人?ヒトとの関係性をダンバー数と進化心理学から見る【書評】

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突然ですが、友達って何人います?

今回は人と人とのつながりについて私見を話していきたいと思います。参考にした書籍はこちら⬇︎

もちろん私個人としての意見や仮説も主張するので、気楽に読んで頂ければと。そして、いろんな意見がもらえればいいなと思っています。

突然ですが、私が友達と呼べる人は少ないのかなと思います。そもそも友達をどういう定義にするかですが、これは難しいところですね。一緒に遊ぶ友達の数で言うと5人もいないかもしれません。

親友というか何年経っても気づいたら連絡を取っているし、何となく繋がっているなと感じている人は3人くらいです。

人との関係性についてですが、私の意見としては学校、会社、バイト先、何かの集まりなどその時その時に繋がっただけの点の関係、そこからずっと何年も会ったり連絡を取り合ったりする線の関係の大まかな2つに分けられるのかなと思っています。

友達が多い、少ないこと考える中で僕が気になるのは「ヒトとヒトとの関係」です。この本が新しいことを教えてくれたので少しまとめてみます。

友達の数は脳の新皮質の大きさで決まる?

どうして人間というものが生まれて、社会というものができたかを考えているとキリがないのでここでは触れないでおく。友人関係や信頼関係を語る上で、人の脳が大きく関わってくる。具体的に言えば、身体に対する脳のサイズが重要になってくる。なぜ私たち霊長類の脳が他の猿やチンパンジーなどの動物達大きくなったのか?二つの説があるという。

1. 様々な問題を解決するために大きな脳が必要だった

2. 組織化と依存に頼る複雑な社会構造が脳の発達を促した

そもそも、他の動物たちの群れは依存せずさっぱりとした関係性だが、僕たちの社会は非常に泥臭く、面倒で、個人同士の関係性の依存組織化されて成り立っている。

に話を移すと、この社会の複雑さによる群れの構成数脳の新皮質の大きさに強い関連性があるとのこと。人の脳の新皮質の大きさで変化する社会で起きていることを理解して処理する能力が決まってしまっている。

つまり、友達や知り合いの数は人間の脳の大きさによって決まっているということ。

本書では、これがダンバー数という考えで紹介されている。

d.hatena.ne.jp

ダンバー数によると一人の人間が関係を結べるのは150人程度とされている。裏付けについて詳しくは本を参考にしていただきたいが、すでに1950年くらいから言われている理論なので知っている方も多いはず。

例えば、会社や学校など組織の規模が150人くらいまでならひとりひとりの顔がきちんとわかるレベルで仕事を回すことができる。その他、民族、学校の授業、共同体などを調べてもこの数を超えると分裂や収集が効かなくなるとされている。

また、人は必ず他の人と関わりを持っておかないと生きていけない共同体の中にいる。自分の住んでいる近所や、属している組織などがそうだ。仮に全く誰とも話さなくても、自分が食べている食事、歩いている道路などすべて何かしらなの人に繋がっている。人と人との関係は切っても切り離すことはできないのだ

150人との付き合い方のパターン

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中心(赤)自分の本音をすべてさらけ出せる人で、何かあった時にはすぐ駆けつけて助言をしたり、慰めてくれ、無条件に助けてくれる存在。そこから黄色、緑、青と外側に行くに従って親密度が徐々に減少する。関わり方についてはだいたいこんな感じ⬇︎

:毎日〜週一で連絡、自分をさらけ出せる

黄色:月1回程度、一緒に遊びに行く

:半年に1回程度、顔も知っていてたまに連絡

:年1回話するかどうか(顔を見た事あるだけの赤の他人も含む)

その他大勢:見ず知らずの人(自分の食事、使う物に関わる人たち)

人との関係性はこの円を基本としている。家族など血縁関係の人も含むが、必ずしも中心近くに位置する訳ではない。

もちろん時間の経過や環境の変化とともに常にあらゆる人間関係の入れ替わりが起こる。赤色に入ってくる人がいればその外に誰かが追い出されてしまう。しかし、人と人との関係性の総量としてはだいたいこの数に収まる。先ほど言った通り、脳の大きさに関係の大きさも支配されることになるからだ。一つの人間関係の数を考える上での指標になる。

日本全体で見れば1億人という社会ではあるが、自分が一生のうちで出会う人たちとの関係性は自分の周りの約150人とその他大勢の中に集約され完結していると言える。

女なんて星の数ほどいるんだから、と失恋の時に励まされたことがあるんだけどそもそも1つの環境で関係性を築けるのは150人程度。そう考えると、その親密度を自分から広げて入れ替えていかない限り、いつまでも同じ環境と人との関係性になってしまう気がする。

不思議なことに、どれだけ人間関係を深く掘り下げようとしても本当に気の合う仲間の総量は変わらない。そうなると次の疑問は、何が自分の親友になる人を決めるのか? だ。

親密な関係になるために必要なのは共同体験?

本書では、親しくなるための条件は信頼を育む「オキシトシン」という化学物質が重要だという。 化学物質?詳しくはこちらにあった⬇︎

“愛情ホルモン”、脳内分泌物質「オキシトシン」の驚くべき11の効果 : カラパイア

本書では「笑い」について取り上げられていた。

お互いに「笑い」を共有した場合、一気に親近感が湧くというもの。例えば、緊張した会議や集まりなどで急にどっと笑いが起きて場の空気が一気に和やかになる。親しい人との会話には必ず「笑い」が含まれている。

人を笑わせる能力がある人には自然と親近感を抱く人が多くなる。これは、お笑い芸人などにも当てはまる。つまり、冗談や人を笑わせる技術がある人が友達を作ることに長けていることになる。これは意識としてみんな感じていることだろう。

しかし、その友人の数が多いからと言って必ずしも親密な関わりになれる人が多い訳ではない。

ここからは僕の意見だけど、本当の親友になる人は「何かを一緒になって乗り越えた経験」があるかないかではと思っている。

一人は中学の頃に「ドラゴンクエスト7」の進め方がわからずお互いに試行錯誤した経験がある。全然、喋ったこともなかったのにある日突然、お互いの共通の接点を見つけて協力しながら取り組んだ。

またある一人は、お互いに思っている将来の不安をぶちまけたことから始まった気がする。大学や社会人になったら中学・高校よりも親友が出来にくいのは、一緒にいる共通の時間と何かを一緒になって体感し乗り越えてきた経験が少なくなるからではないか。

もちろん、どちらも「笑い」による親近感はあったけどお互いに何か一緒になって取り組んで過ごした時間の方が大きいはず。

お互いの知っているという信頼感と共通認識をどれだけ持てるかどうかという部分が大きく関わってくるような気がしている。

遺伝子レベルで友人は決まる?という仮説

僕が考えているのは「そもそも遺伝子レベルで友人は決まるのではないか」ということ。

疑問なのは、先ほどの150人の中で本当に親しくなる人は全員じゃないということ。あれだけたくさんの人と話したり笑ったり、同じ時間を過ごしているのに親友になる人ならない人がいる。その差って一体なんだろうか。

それはやはり相性じゃないか。しかもその相性は遺伝子や血のつながりという先祖という深いレベルで決まるんじゃないか。

二つのことを考えている。

・遺伝子レベルで合う合わないが決まるのではないか

・遠い祖先で血が繋がっているのではないか

これらについて根拠はまだないけど、いつかは調べてみたいと思っている。

まず、遺伝子レベルで無意識に合う合わないを判定している可能性。人が持つ相性というか「何か分からないけどコイツとは合う」という人がいる。人との関係性の中で相性って必ずある。これは血液型とか色々な考え方があるけれど、そもそも遺伝子レベルでつながるかどうかが決まっているとしたら?

匂いとか、しゃべり方とか、身振り手振りで生物的な部分で無意識のうちに相性が決まってしまうのではないか。

もう一つは遠い祖先が繋がっているという可能性。今現在は様々な血が混じり合っているけど、そもそも遠い先祖からどこか繋がっているのではないか。隣にいる友達とは実は遠い過去で血が繋がっているのではないか

それから、どんなに相性が良くても「話す」ことがない限り友だちになることはない。きっかけはあるにしても話すタイミングがあるかないか、これはまさに運命だと思う。

友達というのは時間やいろんな要因が絡んでくると思うので一言で結論づけることはできないが、相性や人との関係性を生物的な観点で見ていくと面白いと思う。

まとめ

友達が多い人、少ない人のその差はあるけど、本当に自分の全てをさらけ出せる人の数はすでに決まってしまっている。人が生きて行く上で共同体を作らなければならず、その人数はによってすでに決められているということ。

さらには、ソーシャルネットワークとか人との繋がりが無条件でできるインターネットがいくら流行ったとしても、この基本は変わることはないだろう。

人と人の関係は単純そうで奥深くて、どんな人と自分は相性がいいのか。改めて周りを見回してみると新しい発見があるかもしれない。