宇多田ヒカルの印象とか楽曲とか休止について
僕が小学生くらいの時にテレビから流れてきた“First Love”。この楽曲の歌詞はなぜか今でも覚えてる。ちょうど2000年前後の時代の音楽って、上手く言葉では言い表すことの出来ない高揚感とちょっとした寂しさのような不思議な雰囲気のある曲が多い気がしてる。いや単純に僕自身がそういった音楽を好んでいたのかもしれないけれども。言葉に言い表せない良さがあるし、印象に残ってる曲が多い。
宇多田ヒカルの”First Love”もそんな中の一曲で、実際に日本では大ヒットしたし誰もが知っている楽曲だった。でも、当時は宇多田ヒカルが特別めちゃくちゃ好きってわけではなかったし、意識して経歴とか色々調べたことはなかった。というのが正直なところ。
wikipediaにはこんな感じで説明されている。
概要[ソースを編集] 1998年12月9日デビュー。1stアルバム『First Love』は累計売上枚数765万枚を超え、日本国内の歴代アルバムセールス1位になっているほか[4]、2ndアルバム『Distance』では初週売上枚数が歴代1位となる300.0万枚を記録している[5]。また、2007年発表の「Flavor Of Life」は当時のデジタル・シングルのセールスにおいて世界1位を記録した[6]。『日本ゴールドディスク大賞』「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」を2度受賞しているほか[7][8]、『First Love』『Distance』『DEEP RIVER』『Utada Hikaru SINGLE COLLECTION VOL.1』の4作品がオリコン年間アルバムチャート1位になっている[9]。 2010年に「人間活動」として翌年以降の活動休止を発表[10][11]、2016年にアーティスト活動を再開した[12][13]。
確かに2010年に「人間活動」に専念するって言って一時期話題になっていたのを思い出す。
そんな活動休止から、今年2016年の9/28にいきなりの活動再開とアルバム“Fantome”のリリースが音楽業界で一気に話題になっていた。
僕も営業車の中で久しぶりに流れてきた宇多田ヒカルの声に懐かしさと同時に昔の時間を少し思い出していた。彼女の楽曲には不思議と心を掴むメロディと歌詞があって、久しぶりに音楽そのものに聴き入っていた自分がいた。
そんな中で”道”という楽曲がよく流れてたわけだけど、「あなた」というフレーズがあって単純にラブソング的な、恋人に向けたものかな?なんて思ったんだけど僕の中で少し引っかかるものがあった。何かしら曲の中で気になった部分があったら、僕の中の一つの作業としてAmazonのレビューをちらりと覗くようにしていた。
そうして自然とレビューを眺めていると一つのレビューに行き着いた。
秀逸すぎたAmazonレビューに感動
わざわざボランティアに近い形で何かについてレビューを書く人は、よっぽどのファンだと思うし自分の中での解釈をとにかく語りたいんだと思う。自分の好きなアーティストについて、自分の知っていることをレビューの中でぶちまける。Amazonレビューにはそんな誰かのこうじゃないかっていう考察が溢れているし、それをたまに見るのが好きだった。
というわけで、宇多田ヒカルのレビューを見てみたらまぁその考察の深さにある意味感動してしまった。
そして、曲中の「あなた」は彼女の母親であることを知った。本人はインタビュー時に母に向けたアルバムと公言しているようです。
以下、勝手ながら引用させて頂いて少しだけ紹介してみたいと思う。
宇多田ヒカルは“人間”になった。投稿者 SHØGO 投稿日 2016/9/28 2010年、宇多田ヒカルは一度表舞台から消えた。「人間活動をする」というのが、彼女が選んだ言葉だった。説明すると長くなる――とか、そんなニュアンスだった気がする。 要するに、もっと一般的な感覚を身につけたかったのだろう。宇多田ヒカルは、あまりにスターになりすぎ、そして若すぎた。
「Automatic」が街中に流れていたとき、僕はまだ小学生の低学年で、仮面ライダーのビデオをレンタルショップに借りに行くのが楽しみだった。その店でもやはり、「Automatic」が流れていた。テレビを付ければ、あの前かがみの独特のノリで歌う姿を何度も見た。そんなお姉さんを、カッコイイ歌だなぁと思いながら見ていた。今でもあの曲を聴けばそんな景色が浮かぶ。
やがて、僕は音楽が好きになった。いろんな音楽を聴いた。90年代はもっとも音楽が売れた時代だということも勉強した。数多くの名曲が生まれ、ミリオンヒットが連発し、ひとりの天才プロデューサーが時代を作った。
そして、ひとりの少女が、すべてを変えた。すべてを壊した、というべきだろうか。世間は衝撃を受けた。10代半ばの少女が作ったアルバムが、800万枚以上売れた。突如現れた彼女は、まるで怪物のようだった。音楽業界にいる連中は戦慄し、誰もがその才能に恐怖したかもしれない。
宇多田ヒカルが起こした革命は、僕はあとから知ることになった。「あれはそういうことだったのか」と。
中学高校時代、宇多田ヒカルの曲は常に流れていた。流行音楽はその都度あれど、彼女の音楽はずっと独特の雰囲気を帯びていて、いつもオシャレだった。「宇多田ヒカルが好き」と言っておけば間違いなかった。
それだけ彼女は常に音楽の先頭にいた。出す曲はすべて話題になり、評価され、誰もが好きになった。宇多田ヒカルはどんどん大きくなっていった。それでもまだ20代の半ばだったのだから驚きだ。
彼女が活動休止してから、2010年代の音楽は、つまらなかった。それは決して宇多田ヒカルがいないからじゃないだろうが、なんとなく、そう感じていた。“音楽を聴いている”人がいない。流行音楽を表しているはずのオリコンチャートに、音楽で評価されているアーティストがほとんどいなかった。あくまで個人的にだがそう感じていた。
そんな音楽業界をどう見ていたかはわからないが、活動休止中にも関わらずときどき彼女の名前は耳にした。突然リリースされた「桜流し」も話題になった。トリビュートアルバムが出たりもした。
誰も彼女のことを忘れなかった。つまらない音楽の影に巨大な怪物が潜んでいて、いずれ来る“その時”に向けてエネルギーを貯めている・・・そんな嵐の前の静けさのような雰囲気が、ずっと漂っていたように、今は思う。
そして、本当に満を持して新曲が出され、今回の新作アルバムがリリースされた。
どれくらいぶりに、CDをセットするときに緊張しただろうか。少しお酒を飲んだ。音楽を変えた怪物が帰ってきたのだ。どんな衝撃があるのか・・期待する他ない。人間活動を経て、どんな変貌を遂げているか・・・。僕は“変化をしている前提”で、CDをかけた。ところがヘッドホンから聴こえてきた一曲目の音は、あまりにもいつもの宇多田ヒカルだった。一瞬にして、宇多田ヒカルが流れていた時代へと巻き戻った。しかしそれは、嬉しい半面、ちょっとしたガッカリ感、といっても違いなかった。「なんだ・・」と思った。が束の間、それも彼女の思惑だったのかもしれないとすぐに気づく。
彼女は、2013年に母を亡くしている。それもありふれた別れではないかたちで。人間活動と銘打った休止中に起こる出来事にしては、あまりに皮肉で、悲劇的だった。
一曲目の歌詞を追う。曲の途中で気がついた。一曲目の歌詞は、「あなた」とは、紛れもないその母へ向けられた歌詞なのではないか。そう感じたとき、一曲目にしていきなり彼女の内面を見た気がした。
素直な言葉の中に、悲劇を受け入れようとしつつ漂う哀しみ、「調子に乗ってた時期もあると思います」というフレーズの、潔さ。
なんだか、宇多田ヒカルを身近に感じた気がした。変な言い方だが、「人間らしさ」を感じた。こんなことは今まで無かったし、意識もしなかった。
ところが二曲目「俺の彼女」で雰囲気が変わる。まるで女優のように歌詞を演じていた。表現力が増している。今までにないような曲でもあった。三曲目「花束を君に」は優しく再び母を想い、四曲目「二時間だけのバカンス」で盟友・奇才椎名林檎が現れて・・・、音楽の幅が確実に広がっている。聴いていて楽しくて仕方がない。
「荒野の狼」は、30代の今だから書ける歌詞じゃないだろうか。今までの宇多田ヒカルにはない曲が連続する。しかし宇多田ヒカルを聴いている実感はある。そう、それは一曲目の「道」の“いつもの宇多田ヒカル”のはじまりがあったからだ。
曲は進む。次の曲が始まり、終わるたび、好きになっていく・・・これこそ名盤だと思わせるような作品だと実感していく。
ラストの「桜流し」は、2012年の曲だ。しかしここにはまた「あなた」が登場する。今となっては、意味が変わってしまうような歌詞。
「あなた」は、「道」にも「人魚」にも「真夏の通り雨」にも登場する。
フランス語で“幻”“気配”と銘打たれたアルバムタイトルは、とても意味深だ。
「桜流し」が終わったとき、結局は・・・母へと向けられたアルバム
なのかもしれないと感じた。いろんな苦悩があったのだろう。幻と向き合い、それとどう寄り添っていくか。そして自然と歌に昇華していったのかもしれない。そんな風に、僕は初めて彼女のホントの心情を垣間見たような気持ちになった。それは他ならぬ、彼女の変化を音楽を通して感じたからだろう。果てしない遠くにいる天才だったはずが、今ではそう・・なんだか身近な、宇多田ヒカルは“人間”になっていた。
きっとこのアルバムはまた音楽界を席巻するだろう。そのくらいの名盤だった。もしかしたらまた彼女は音楽界を変えるかもしれない。しかしそれはあのときの才能の化物じゃない、悲しみも痛みも知ったひとりの人間、女性、宇多田ヒカルだ。
そしてますます新しい側面、人間らしさを音楽に乗せて表現していってほしい。表現していくだろう。ひとりの、母親として。
AmazonFantômeレビューページより引用
これはSHOGOさんという方が書いたものですが、このレビュー記事を読んだ時、母親に向けた作品なんだって初めて分かった。というか、この考察があまりにも鋭すぎてアルバムの魅力が数十倍になった。これだけコアなファンに支えられているんだなって思えた。
同時に、懐かしくもあった。昔、聴いたときのことを思い出して何だか色んなことを思い出したりもした。音楽って人の心に案外残ってるし、何かを思い出すトリガーみたいになってるんだなって思えた。
このレビューを読んだ後にすぐに歌詞を検索してみた。
改めて歌詞を見て、母親の面影がすぐに感じ取れた。暗いイメージもあるけど、それ以上に苦悩と現実に真正面から向き合った宇多田ヒカルの強さが歌詞に表れている気がしてならない。
もちろん、今回のアルバムに対する批判というか違うんじゃないかという意見もあった。
繊細でただひたすら美しい、が物足りない 投稿者オセロ2016年10月8日 母の死や人間活動の結果なのでしょうかいつも以上に憂いを感じる、宇多田ヒカルの死生観みたいなものが全面に出ているアルバムでした。全体的にストリングスを多用しており繊細でただひたすら美しい曲が並びます。ですが、活動休止前の初期~中期では思い切り爆発していて、後期でも随所に光ったあの”エキセントリックさ”が全くない…良作ですが平凡なアルバムです。音符だけを拾えば宇多田ヒカルでなくてもいいぐらい。(勿論パーソナルな部分が今まで以上に出た作品なので宇多田ヒカルじゃなきゃ駄目な作品ですが)「ただ単に私が求めていた物と違っただけ」と言えばそれまでですが、「宇多田ヒカル」とはこんなものでいいのでしょうか?世の中の人に問いたいです。
AmazonFantômeレビューページより引用
宇多田ヒカルとはこんなものでいいのでしょうか?という言葉に期待が込められている。まだまだこんなもんじゃない、これほど期待されてるって羨ましくもある。
レビューは批判っぽく聞こえていても、裏を返せば「いつもの宇多田ヒカルとは違う」ってことが充分に伝わっているアルバムなんじゃないかと思う。
人間活動をしたことで、本人にしか感じ取れない何かが一つ一つの楽曲に込められている。それは、今までの勢いのあった宇多田ヒカルとは違う何か。その言い表せない気持ちすら伝わってくる彼女のメロディって本当に人の心に響くものなんだと改めて気付かされた。
怪物、そう言われるだけの天才の一人の人間としての一面を見るアルバム。これは単なる音楽じゃなく、ひとりの人間の物語のようなもの。そう思った。
最後に
僕個人の感想としては、本当に自分のために作ったアルバムなんだと思う。向いている方向がおそらく違う。彼女が向けた方向は彼女自身であり、母親だったんだと思う。このアルバムから、次はきっと僕らに向けた音楽を作ってくれるはず。
小学校の頃に聴いた宇多田ヒカルを思い出して、なんだか懐かしくて書いてみた。ただ聴くだけの音楽じゃやっぱり詰まらない。ノリのいい音楽だけじゃつまらない。共感を呼ぶ歌詞だけが綺麗な音楽じゃない。
メッセージに込めた文脈を読み解く、音楽もまた文学に近いのかなって思えた。そういう風に音楽を楽しませてくれるアーティストがまた一人帰ってきたって素敵なことじゃないか。
またちょっと聴いてくる。